テントに戻ると2人が待ってましたとばかりに酒と食材を持って私のテントに入ってきた。
私のテントが一番広いからだという。
とはいえ1~2人用の狭いテントだ。
3人がぎゅうぎゅうに入って宴会が始まった。
2人ともお湯を入れるだけでできるフリーズドライのご飯だけで済ますつもりのようだった。
山歩きは軽量化が基本で、1グラムでも軽くするために皆、しのぎを削る。
そのため、食事も質素になってしまうのだ。
私はどうしても食事だけは諦めたくなかった。
なので2人のザックが10キロなのに対して、酒と食材の重さで2人より2キロ重かった。
なんならドローンも持ってこようかどうしようか迷ったくらいだ。
しかし初めての北アルプス、危険と言われる下ノ廊下をいきなり重い荷物を持って歩き、ドローンを飛ばす余裕まであるかどうか自信がなかったので、今回は諦めたのだ(許可申請で撮影可)
今夜の夕食は鶏鍋だ。
予報では気温はマイナスにこそならないものの、標高1000mの秋の夜ともなれば心身ともに冷えるに違いない。
きっと温かいものが食べたいと思うだろうと思い、鍋にしたのだった。
温泉ですでに体はポカポカではあったが、熱燗と鍋は疲れと空腹の体に染み渡って美味しかった。
下ノ廊下が想像以上に楽しかったと、3人で話しながら盛り上がった。
空腹で飲んだ熱燗で酔いが回りはじめたころ、二人は睡魔に勝てず各々のテントへと帰っていった。
温泉にも入らずに・・・
テスリンYさんは温泉に入った方が膝にも良いのではないかと思ったが、山を結構下るので行く気になれなかったと言う。
しかも彼は慣れない洞窟探検で疲れ切っている上、寝ずに長野まで運転してきていた。
温泉より睡眠をとった方が膝にはいいかも知れない。
翌朝は5時半に出発することに決め、20時半には就寝した。
このころには星空を撮ることはすっかり忘れていた。
寝入ってしばらくすると寒さを感じたのでエマージェンシーシートとホッカイロを貼り付けて寝たらポカポカになり、そこからは快適に眠れた。
テン場でのテント泊は初めてだったが、山の中でのテント泊は何度も経験していた。
山狩りと言って山の中に分け入り、みんなで洞窟を探すことがあるのだが、数日かけて歩くときは山にテントを張って寝泊まりする。
そこでも別段、不便に思ったことはなかったが、ここでのテント泊は快適そのものだった。
山奥なのに綺麗なトイレはあるし、手洗い場も設けてあるのだ。
しかもトイレは水洗だった。
眠りに落ちてしばらくすると、おそらく飲酒のせいだろう、喉の渇きで目が覚めた。
その後も何度も喉の渇きで目が覚め、その都度 水をがぶ飲みし、結局朝まで熟睡することはできなかった。
翌朝は朝食を食べるために4時半に起きた。
二日酔いはなく、お腹は空いてなかったものの、食べて体力をつけなければと昨夜の鍋の残り汁で作った雑炊を、普段ならこんなに入らないというくらい沢山食べた。
それでも2時間後にはお腹が空いていた。
シュラフやスリーピングマットなどを片付け、テントを畳む段になって外に出ると雨が降っていた。
もともと雨の予報ではあったが、晴れ女の私はきっと晴れるに違いないと腹をくくっていたのだ。
小雨の降る中、テントをたたんで2人の元へ行くと6時になっていた。
テン場から続くヘッドライトの列を頼りに山を登った。
テスリンYさんもまた 寒さで熟睡はできなかったといい、相変わらず痛む膝をカバーしながらゆっくり登っていた。
山を登って降りて、しばらく行くと水平歩道に出た。
昨日と同じように今日も紅葉を眺めながら美しい景色が見れるはずだった。
だが予想に反して雨が降り、霧も出ている。
昨日とはまるで別世界だ。
本来なら眼下に黒部渓谷を見ながら下ノ廊下を歩くことになるはずだった道も、足元まで霧で真っ白になり、まるで雲の上を歩いているような錯覚に陥った。
また山から湧き上がる霧は幻想的で、かえって貴重な体験ができたのではないかと、皆で喜んだ。
土砂降りなわけでもなく、雨が降っていても雲の隙間から太陽が顔を出している。
時折雨も止んだ。
2日目もいろいろなアトラクションを楽しみながらテスリンYさんに合わせてゆっくり歩いた。
ご年配の団体さんを追い越し、追い越されしながら歩く。
先に歩いては2人が来るのを待った。
2人を待っていた時、団体さんより先に歩いていたはずの2人がいない。
何かあったのだろうか?不安がよぎる。
先頭を歩くガイドらしき男性に声をかけた。
「あのー、男性2人いました?」
「ああ、追い越したよ。1人は(両手を20センチくらいの幅に広げて)こんな段差でも降りれなくて苦労していたよ。テーピングは持ってるの?」
「いえ、持ってないです」
「お姉さん、悲壮な顔してかわいそうだから新品だけどテーピングあげるよ」(そんな顔してたのか^^;)
「ありがとうございます」
「半月板でもやったら後が厄介だから、関電のエレベーター使って降ろさせてもらいな」
ん?エレベーター?
「途中までは自力で降りなきゃいけないけど、事情を話せばきっと乗せてくれるよ。テーピングの貼り方わかる?俺、お客さんいるからね。待ってあげられないから先に行くよ」
そう言って、ガイドらしき人は団体さんと共に去っていった。
※旧日本電力がダムを建設するときに作った高低差200mの竪坑エレベーターで、現在は関西電力の従業員が使っており、通常一般人は乗れない。
しばらく待っていると2人がやってきて、先ほどのガイドからもらったテーピングを渡し、エレベーターの話をした。
するとテスリンYさんはエレベーターのことを知っていた。
というか、去年、このエレベーターに乗る特別ツアーに参加していたらしく、「ひょっとしたら乗せてもらえるのではないか」と淡い期待を胸に抱きつつ歩いていたらしい。
「ガイドさんがそういうならきっと乗せてもらえるんだろうね!」
それを知ったテスリンYさんは、足取りが幾分軽くなったと言って先を急いだ。
しばらく歩くと下りが始まった。
テスリンYさんは苦痛に顔を歪めながら一歩一歩下る。
見かねたcaveAが
「先に降りて荷物置いてまた戻ってきます」
と行って下っていった。
私はテスリンYさんの後ろについてゆっくり歩いていた。
しばらくすると、後ろから初老の男性とガタイのいい屈強そうな男性2人が降りてきた。
「お先にどうぞ」
「どうかされましたか?」
「いえ、足をちょっと痛めまして」
「荷物、分担して担ぎましょうか?」
「いえいえ、それには及びません。相方(caveA)が荷物を置いて戻ってきてくれてるので」
いや、持ちますよ、いえ、大丈夫です。
テスリンさんと そんなやり取りをした後、2人は心配そうに降りていった。
そこでふと気がついた。
そうか、私が荷物を持てばいいんだ!
「テスリンさん、荷物貸してください、私担ぎますから」
女の私に荷物を持たせるのは忍びなかったのか、最初は遠慮していたテスリンYさんだったが、とりあえず持ってみたいと言って無理やり荷物を持たせてもらった。
「なんだ、めっちゃ軽い!」
スタート時、10キロあった荷物は食料や水が減った分軽くなっていて、片肩に担いでも全然重くなかったのだ。
これなら下まで担いで歩けそうだ。
しばらく歩くと分岐の広場に出た。
そこではcaveAと先ほどの男性2人組みが話をしていた。
ザックを持っている私をみた男性の目が点になっていた。
「荷物持ちますよ」
「いえ、大丈夫です」
今度は私と男性でそんなやり取りを数回繰り返し、2人組みは心配そうな顔を浮かべながら山を降りていった。
洞窟で竪穴を探検するときはガチャ類やロープなどもっと重い荷物を担いで急勾配の山を登る。
しかもポルタージュと呼ばれるウエストベルトがないザックを担ぐので、その重みはダイレクトに両肩にのしかかる。
その上、1人2、3バッグ担いで行くのがあたり前で、3バッグ担ぐ人はじゃんけんで決める。
そこに男も女も関係ない。
じゃんけんで負ければ背負子(しょいこ)に3バッグを縛り付けて山を登り降りしなくてはいけないのだ。
まだ経験はないが、発電機を担いで登った女子もいた(ガチ探検女子)
しかも獣道でもあればラッキーで、洞口までは藪漕ぎや倒木を乗り越えて歩くのが当たり前なのだ。
知らぬ間に私は鍛えられていたようだった。
ここは登山道として整備されている上に下り道。
ゆっくり下る分には何の問題もなかった。
その後はcaveAと交互に持つことにし、エレベーターのある場所まで向かった。
(スマホでの撮影にザックが邪魔だったので早々にcaveAと交代し、その後はcaveAがずっと担いでくれた)
もう少しでエレベーターにたどり着くという段になって、団体客が登ってくるのが見えた。
どうやら今日は特別ツアーの開催日らしい。
エレベーターに乗れる可能性が高まった。
係員らしき人を見つけたので聞いてみた。
「すみません、黒部ダムから歩いてきた者なんですが、仲間の1人が足を痛めまして、エレベーターで下まで降ろしてもらうことはできませんか?」
すると担当者に聞いてみるからここで少し待つようにと言われた。
「もしダメなら防災ヘリだね」
と係員は言う。
なるほど、防災ヘリと言う手もあったか。
聞けば保険にも入っていると言うので、民間ヘリを使うことになったとしても大丈夫そうだ。
「もし防災ヘリになったら動画撮影したいから飛び立つまで待ってるね♪」
結局エレベーターで降りることを許可され、ツアー客に混ざって下りることになった。
自分の足で下山しないと達成感は味わえない。
私は自力で下山したかった。
でも別行動は何があるか分からないし、私たち2人も一緒に乗っていいということだったので、今回はエレベーターで降りることにした。
エレベーターで降りるなんて滅多にできない体験だ。
ちなみに下山には小一時間ほど要するが、エレベーターだと高低差200mを2分で降りる。
ツアーガイドらしき方に説明までしてもらい、ツアー客に混ざってエレベーターを降り、専用列車で欅平駅まで送ってもらった。
「貴重な体験ができましたね。みんなに宣伝しといて下さいね」
「分かりました!しっかり宣伝しておきます!ありがとうございました!!」
欅平駅からはトロッコ列車で宇奈月駅まで向かう。
私「わーい!オープン車両に乗っていっぱい動画を撮るんだぁ♪」
テスリンY「1時間半ほど掛かるよ?」
外は小雨で肌寒い上に、カッパを着ていたので汗をかいてそれが冷え、ガクブルだった私は黙って特別客車を予約した。
列車の出発まで時間があったので駅のレストランで黒部峡谷カレーを食べながら冷えた体を温める。
テスリンYさんが、お手間をかけたからと言ってランチを奢ってくれた。
暖かいご飯を食べてもやはり濡れた体ではどんどん体温を奪われていくので、やむなく昨日着ていたウェアに着替え、寒さをしのいだ。
平日にも関わらずトロッコ列車は満員で、補助席も出さなければならない状況だった。
駅の待合では黒部ダム建設当時の詳しいビデオが流れていて、釘付けになった私は列の最後尾になってしまった。
「奥に詰めて座ってください」駅員に促され、先に並んだ人達がどんどん奥に詰めて座る。
そして補助席を出すことで身動きが取れない状況になってしまっていた。
最後に私が入ると、そこだけぽっかりと空間が空いており、両窓際のどちらでも座れる状況になっていた。
トロッコ列車が走り出す。
窓から見える景色は右側から左側へ移り、また右側とひっきりなしだ。
1人だけ両窓際のどちらでも座れる状況にあった私は
「これは美しい風景を撮りなさい、と与えられた空間に違いない」とばかりに動画を撮りまくった。
初めの頃はみんなも窓の外を眺めていたが、そのうちほぼ全員が居眠りを始めた。
程よく暖められた車内と揺れる車両が眠気を誘うのだ。
歩き疲れた私も御多分に洩れず睡魔に襲われていた。
それでもここは撮らねば!という強い使命感にかられ、睡魔と必死で戦いながら撮影をした。
1度だけ気を失った気がするが、気のせいだろう。
室井滋さんのアナウンスを聞きながら、半分船を漕ぎつつ窓の景色を眺めていると、いつの間にか宇奈月温泉駅に到着していた。
駅を出ると見覚えのある車が止まっていた。
ちゃんと車は回送されていた。
車に荷物を置いて、宇奈月温泉に向う。
冷えた体をしっかり温め、これからの長距離運転に備えた。
駅の前に黒部川電気記念館という建物がある。
黒部ダムが建設されるに至った経緯から建設にまつわる色々な事情などが無料で学べるスポットだ。
私はこの下ノ廊下を歩くにあたり、事前に何も勉強してこなかった。
「詳しく知らない方が、驚きや感動が大きい」という理由からあえて詳しくは調べないことにしている。
見学してみて、ダム建設にこんな想像を絶する苦労があったとは!と心底驚いた。
帰宅して、すぐに「高熱隧道」を読んだ(トンネル工事で高熱の岩盤と戦った話)
プロジェクトX〜黒四ダム ~断崖絶壁の難工事~ (黒四ダム建設にまつわる話)と※アマゾンプライム会員は無料で観れます。
「黒部の太陽」も見た(トンネル工事で破砕帯と戦った話)
どれも実話で、水平歩道を歩いた直後の私は涙なしでは見れなかった。
そして何も知らずに「わーい、大自然の絶叫アトラクションだ~♪」とただひたすら楽しんでいただけの自分を恥じた。
トンネル工事では大勢の方が不慮の事故で亡くなっている。
命をかけてダム建設に取り組んだ人たち。
そこを省いて面白おかしくブログや動画にしていいものか、迷った。
だけどこの方たちのお陰で私たちは好きなだけ電力を使え、こうして下ノ廊下を楽しく歩くことができている。
また毎年多額の資金を投じて整備をして下さっている関電さん、並びに命がけで整備に携わって下さっている方達のお陰で、無事に歩くことができた。
これはやはりもっと多くの人に事実を知ってもらい、たくさんの人に実際に黒部を訪れてもらう方が、亡くなった方たちも浮かばれるのではないだろうか。
そう考えていつも通りに動画を編集し、ブログにした。
ご理解いただければと思う。
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動画もブログも私の目線なので、実際に行かれた方の中には違和感を覚える人がいるかも知れません。
でもこれが私が体験し、感じたものです。
まだの方は是非ご自身の目で確かめてみてはいかがでしょうか?
「高熱隧道」は読まれてから行かれると より理解が深まります。
またこのルートを通らずとも、特別ツアーで内部のみならず黒部の絶景を一部見学することが可能です。
そちらも是非ご利用くださいませ。
私たちが行った2日前に滑落事故があったと聞きました。
事故に居合わせた人がブログを書いているのを見つけました。
この動画やブログを見ていこうと思った方は、くれぐれも自己責任でお願いします!
この黒部川を1980年代にカヤックで降っている人がいます。
それはモンベルの辰野勇氏
ヘリなんて使えないしカヤックを担ぐのは到底無理だけど、パックラフトでなら下れるかな?なんて絶賛妄想中♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
*今回の旅に使用したギアのご紹介*
メインヘッドライトは洞窟でも使っている安くて明るいライト(予備バッテリーも忘れずに)
メインヘッドライトに問題が起きた時のための予備ライト(テント内で使いました)
私が洞窟でも使っているヘルメット。
ハーネスまでは要らないが、写真撮影などで確保する時にあると便利。
60センチくらいがちょうどいい長さに感じた(長さはお好みで)
カラビナはスプリング付きのスクリューロックタイプがおすすめ。
柄は違うけどこれと同じシュラフ。0℃前後で快適なシュラフですが、寒かった時のためにホッカイロを一つ忍ばせておくと安心。これにシュラフカバー(テントの結露からシュラフを守るだけでなく、外気の冷たい空気をシャットアウトしてくれる)は必須。
ブランケットタイプでなはく、筒型で使い捨てじゃないものがおすすめ。
荷物がかさばらないよう今回はインフレータブルタイプを持っていったが、暖かさではコチラがおすすめ。
今話題の4シーズン使える安いテント。中国製だが、性能は全く問題ない。
コンパクトに収納でき、小さい方は器としても使えてとても便利。
これはコッヘルの中にピッタリ収まる。
このサイズであればコッヘルの中に収納できる。
私が使っているのはこれの柄違い。元々は寒さから守るためのカバーだが、コッヘルに直接収納すると傷がつきそうだったので付けているだけ。雪山ではコチラを使用。
標高が高くて気温がマイナスになるような場所で使うのであれば、カバーよりOD缶をコチラにするべき。
私が使っている60Lザックは古くてもう売られてないのですが、1泊2日テント泊だと60Lはスペースに少し余裕があるくらいでした。2段に分かれているタイプは使い勝手が抜群にいいです。
ウェアはアウトドアではほぼ全身ファイントラックを着ています。
これは独自のレイヤリングにより、暑さ寒さで脱ぎ着をしなくて済むのでとても便利です。
ご参考までに^^
ここまでNAOさんがチャレンジャーだったとは、、、
私はお盆に上高地に行って横尾山荘までがせいぜいでした。(笑)
食堂で相席した強者たちとダブって見えます
いつもと違う大変刺激的な映像でした。
石井さん、上高地は私の憧れです☆
好奇心旺盛なだけですよ^^;
楽しんでいただけて嬉しいです╰(*´︶`*)╯♡